リュネビル刺繍発祥の地・リュネビルとは
リュネビル刺繍が生まれた町をのぞいていってください♪
リュネビルの地理
リュネヴィルはグラン・テスト(Grand Est)地域圏、ムルト=エ=モゼル県(Meurthe-et-Moselle)のナンシーの南東30kmにある町です。
パリからはLGV東ヨーロッパ線ででナンシーへ行き(1時間55分)、在来線に乗り換えて(約20分くらい)です。
私がいつも行くルートはシャルルドゴール空港からTGVでロレーヌまで行き、そこからバスでナンシーへ行き、在来線でリュネビルまでいきます。パリを通らずに済むので実はすごく楽な移動です。
パリの東駅へ行くまでが大変で治安も悪いですし、アジア人の女性一人が大きなトランクを抱えて移動するには慣れていないと危ないし不便です。(一人旅が慣れていない私の場合ですが・・・笑)
リュネビルの町の歴史的建物
リュネビルには歴史的建造物が沢山残っています。
リュネヴィル城(Château de Lunéville)
ロレーヌの小ヴェルサイユ宮殿と呼ばれている優雅なお城です。2枚目はお城の裏の庭園です。
18世紀、ロレーヌ公レオポルド1世とスタニスラス・レシチンスキ公時代に再建が進められました。
2003年の冬の火災の後、2010年からお城は再建され、刺繍学校も再開しました。
フランスの街には必ずシンボルの教会があります。リュネビルのシンボル・サン=ジャック教会(Église Saint-Jacques de Lunéville)です。教会はロココ様式でスタニスラス公が埋葬されています。
リュネビルはドイツに近い町であり過去に何度も他国から侵略を受けています。近くのストラスブールなど今でもあちらこちらにドイツ色が残っています。
リュネビルの町の様子
娯楽の点では物足りない小さな町かもしれません。
生活面ではモノプリと大型スーパーがありそんなに不便を感じません。
TGVがとまるナンシーまで電車で20分くらいで行けますし。
小さいパン屋さんやケーキ屋さんも数件あります。フランス初心者の私には丁度良い環境でした。
リュネビル駅前と通っていたスーパーです。
フランスのスーパーでのお野菜購入等は自分で計ってレジに持っていくシステム。
レジもエコ袋持参で買うお品をレーンにのっけて自分で詰めます。
もたもたしてもリュネビルの人は嫌な顔をしません。
そういう所はのんびりです。日本ではせわしいので自分かもたつくと焦りますよね(/_;)
中でもリュネビルやナンシーの若い人はとっても親切です。荷物が多くて階段でてこずっているとささっと持って運んでくれます。
何度も駅でもたもたしている私を助けて頂きました。
ナンシー地方の人は基本とても親切なんだと思います。どこへ行ってもフレンドリーで親切でした。
余談ですが、パリはちょっと違います。
残念な事にアジア人差別はひどいです。とくに黒人の方に嫌な目に沢山あいました。
ホテルのお掃除の人や、ウェイターの人、わざと言葉がわからないふりをしたり、酷いのはホテルの朝食をとりに入ろうとした時に朝食を用意するマダムに「どっから入り込んだんだ!」と怒鳴られました。
欧米の人からすればアジア人は子供に見えるらしいです。。わたくし50歳過ぎてますが・・・
フランス語はうまく喋れませんが聴き取りはできるので「部屋キーを見せて、朝食代は払っています。」と説明して席に着きました。
朝から目の覚める応対で、ナンシーで連泊したホテルの黒人のメイドさんやウェイターさんは皆さん親切だったのでかなり衝撃でした。
後でお世話になっている通訳さんが仰ったのは、黒人の方がアジア人差別がひどいのは、自分たちが白人から差別される事へのうっぷん晴らしと言う事です。
なんだか切なくなりました。
帰ってから友人に話すとパリの洗礼と言われました。
スリ、差別、汚いトイレ・・・パリのイメージが行くたびに壊れていくのは私だけでしょうか。
今後留学される方に現実のご参考になればと余談でした。
最後に
リュネビル刺繍の発祥の地であるリュネビルについてちょっとご披露してみました。
こじんまりとした田舎の町ではありますが、過ごしやすい所です。
リュネビルから近くの街ナンシーにはプチベルサイユと呼ばれるスタニスラス広場やストラスブールも近いので観光にも良い所です。
「ハウルの動く城」のモデルとなったコルマールも近いです。
一度足を延ばして行ってみてはいかがでしょうか。