リュネビル刺繍の優美なる世界 — 伝統と技の織りなす繊細な芸術
オートクチュール・リュネビル刺繍とは
リュネビル刺繍は、フランス・リュネビル地方で生まれた、かぎ針(クロシェ)を使って施すオートクチュール刺繍の技法のひとつです。
主に、パリのハイブランドのオートクチュールドレスや舞台衣装などに用いられ、繊細で華やかな装飾を生み出す技法として知られています。

リュネビル刺繍とは
日本ではリュネビル刺繍というとパイエット(スパンコール)やビーズをふんだんに使ったオートクチュール刺繍のなかでリュネビル針を使用したものを総じて「リュネビル刺繍」といいます。
本来のリュネビル刺繍とはフランスのリュネビル地方の刺繍技法です。
クロシェと呼ばれるかぎ針式の針で綿の糸を使い白いチュールに刺繍をします。
ポワン・ド・リュネビルと言われています。
白い糸をレースのような刺繍したものが元々の「リュネビル刺繍」です。
リュネビル刺繍の歴史
リュネビル刺繍の歴史は18世紀後半に遡ります。ナポレオンの妃ジョセフィーヌ・ド・ボアルネ皇后は、1798年6月にリュネビル近郊で事故に遭い療養のためこの地に滞在しました。その際、リュネビルの白糸刺繍の美しさに心を奪われ、これをパリへ持ち帰り復興・流行させたことが知られています。
当時、リュネビルの刺繍師たちのほとんどは女性で、自宅での手仕事が主でした。正確な人数は不明ですが、19世紀に入ってから工場生産も始まり、組織的な生産体制が整っていきました。1811年には女性刺繍師ガゾットがバプテスマのベールを作った記録も残っています。
1865年頃、ルイ・フェリーがリュネビル刺繍にビーズを施す革新的な技術を取り入れ、オートクチュールの生産とともに刺繍の新たな可能性を切り拓きました。これが日本で一般的にイメージされるリュネビル刺繍の原型となっています。
リュネビル刺繍はアールヌーボー時代にファッション界で大きな支持を得て、パリのハイブランド、特にシャネルをはじめとしたメゾンで採用されるようになりました。これにより、オートクチュールファッションに欠かせない技法として確固たる地位を築きました。
しかし、1939年代の第二次世界大戦とその後の経済危機により刺繍産業は大きな打撃を受け、リュネビルの刺繍業界は一時期衰退を余儀なくされました。
1999年にはリュネビルの愛好家フランソワ=レミー氏の尽力により、リュネビル城内に「リュネビル刺繍学校(Conservatoire des Broderies de Lunéville François-Remy)」が創設されました。この学校は伝統技術の保存と継承、さらには新たなオートクチュール刺繍師の育成に貢献しています。
リュネビル城の歴史的な美しい空間の中で、刺繍技術が未来へと息づいているのです。



リュネビル城の中に刺繍学校があります。
日常を特別に変える、オートクチュール刺繍の魔法 リュネビルクロシェ刺繍
リュネビルクロシェ刺繍は非常に手間と時間がかかりますが、その過程こそがこの刺繍の魅力のひとつです。手間を「優雅な時間」と感じられるか、「大変」と感じるかは、この刺繍の楽しみ方の分かれ道でもあります。
この技術を習得すると、フランスの優美な装飾品や小物、ドレスへの刺繍、バッグやアクセサリー(コスチュームジュエリー)など、多彩な作品づくりが可能になります。ご自身や大切な方への特別なプレゼントとしても最適です。
さらに、オリジナル作品が作れるようになれば、ご自身のハンドメイドショップを持つ夢も現実になります。
当ブランド「Éclat Noir」では、動画フォローアップ付きのレッスンをご用意しており、初めての方でも素敵な作品を仕上げられるようサポートしています。
この美しい刺繍の世界を、多くの方に体験していただけたら幸いです。